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「全然喜べない」から二刀流へ ― 大谷翔平を北海道日本ハムはどう育てたか

2026年7月25日

大谷翔平は北海道日本ハムファイターズに在籍した2013年から2017年の5シーズンで、投手として防御率2点台前半〜1点台を複数回記録し、打者としても2016年に打率.322・22本塁打を残した。投手・打者の「二刀流」を高卒ルーキーの時点から公式に掲げてプロ野球選手を育成した例は、当時のNPB(日本プロ野球)には前例がなかった。この記事では、その二刀流がどのような経緯で始まり、球界からどんな懐疑論が向けられ、実際の成績としてどう推移したのかを、日本ハム入団後の時期に絞って振り返る。

メジャー志望を表明した高校生を、なぜ日本ハムは指名したのか

2012年10月25日のドラフト会議で、大谷は北海道日本ハムファイターズから単独1位指名を受けた。大谷は指名前からメジャーリーグ挑戦の意向を明確に示しており、指名直後の会見でも「日本のどの球団から指名されたとしても、自分の気持ちは変わらない」という趣旨の発言をしていたと報じられている。実際、大谷はドジャース、レンジャース、レッドソックスなど複数の球団と接触していたとされ、多くのNPB球団が指名を見送る中での「単独指名」だった(web SportivaNumber Web)。

指名から入団までの交渉は難航し、日本ハムは栗山英樹監督(当時)を中心に複数回にわたって岩手県の大谷のもとへ足を運んだと伝えられている。その中で球団側が用意したのが、日本や韓国出身選手の海外挑戦の実例やデータをまとめた資料だった。ページ数の表記は情報源によって幅があるため本稿では断定を避けるが、決して簡単な口説き文句ではなく、相応の分量をかけて「なぜ先に日本でプレーする意味があるのか」を説明する内容だったとされる(中日スポーツ)。

栗山監督自身は、マイナーリーグを取材してきた経験をもとに、大谷がメジャーで長く活躍するために何を身につけておくべきかを伝えたと語っている(Number Web)。2012年12月9日の入団会見で、栗山監督は「もっと喜べると思ったけど、全然喜べない」と発言している。これは歓迎ムードに水を差す言葉ではなく、あれほどの才能を託される責任の重さを率直に表したものだったと報じられている(web Sportiva)。

「誰も歩いたことのない道」としての二刀流

入団にあたり、日本ハム球団側から投手・打者の「二刀流」が提案されたと伝えられている。栗山監督はこれを大谷に伝える際、「誰も歩いたことのない、大谷の道を一緒につくろう」という趣旨のメッセージを送ったとされる(Number Web)。つまり二刀流は、大谷本人が持ち込んだ要求というより、球団側が高校時代の投打両方の実績を評価した上で提示した育成方針という側面が大きい。

野球という競技において、投手は「登板日に向けて球数・肩の消耗を管理しながら数日おきに投げる」仕事であり、野手は「原則として毎試合出場し続ける」仕事だ。この二つを同時に高いレベルで両立させることは、プロの現場では「どちらも中途半端になる」リスクが常につきまとう。だからこそ、二刀流という育成方針は当時のNPBで前例がなく、球界からは懐疑的な声も上がった。

球界からの懐疑論と、前例のなさへの向き合い方

二刀流に対しては、投手専念を推す立場や、そもそも両立自体を疑問視する立場からの意見があったと報じられている。評論家の広岡達朗氏は、投手・野手いずれかへの専念が望ましいという考えを一貫して示していたとされる(ダイヤモンド・オンライン)。栗山監督自身も後年、「プロ野球に携わる多くの大人たちが、こぞって『無理だよ』と言っていた」と入団当初を振り返っており、二刀流への懐疑論は当時の球界で広く共有された見方だったことがうかがえる(現代ビジネス)。

ここで強調しておきたいのは、反対論を唱えた側も、大谷という選手の実力そのものを否定していたわけではないという点だ。投手・野手の兼務というプロ野球の運用上のリスク管理に対する懸念であり、選手としての評価とは別軸の議論だったと理解するのが妥当だろう。

成績で見る二刀流の軌跡(NPB公式記録より)

以下の成績はすべてNPB公式サイト(npb.jp 選手成績)に基づく。プロ野球LABが現在提供しているNPBデータ分析(2025年シーズン以降を対象とする自社データベース)とは別に、公式記録を出典として振り返るものである。

打撃成績: 2013年 打率.238・3本塁打、2014年 .274・10本塁打、2015年 .202・5本塁打、2016年 .322・22本塁打(自己最高)、2017年 .332・8本塁打。
投手成績: 2013年 防御率4.23、2014年 2.61、2015年 2.24、2016年 1.86、2017年 3.20(故障の影響で登板数が大きく減少)。

1年目の2013年は投打とも成績が安定せず、二刀流という運用が「まだ形になっていない」段階だったことがうかがえる。転機は2015年で、最優秀防御率・最多勝・最高勝率の投手三冠を達成した一方、打率は.202にとどまっている。この年は投手としての比重が高く、打者としての出場機会や状態管理が投手優先で組まれていたことの裏返しとも読める。

そして2016年、大谷は投手として防御率1.86、打者として打率.322・22本塁打という、投打どちらも高水準の成績を同時に残し、パ・リーグMVPを受賞した。この年は投手と指名打者の両部門でベストナインを受賞しており、これはNPB史上初の快挙だったとされる(北海道日本ハムファイターズ公式NPB.jp 2016年表彰選手)。投打の負荷が完全に噛み合った、二刀流としてのひとつの完成形と言えるシーズンだった。

一方で2017年は、打率.332と打者としてはキャリアハイの数字を残しながら、投手としては故障の影響で登板数が大きく減っている。これは、投手と野手という異なる負荷のかかり方をする2つの役割を一人の体で同時に背負うことの難しさを、成績の面からも示す一例だろう。投手は肩・肘といった局所への繰り返しの負荷が蓄積しやすく、野手は下半身も含めた全身の疲労が蓄積しやすい。この2種類の疲労を同じシーズンの中でどう配分し、休養日をどう設計するかは、二刀流を成立させる上で最後まで残り続けた技術的・運用的な課題だったと考えられる。

「大谷の道」がその後にもたらしたもの

北海道日本ハム時代の5年間は、二刀流が「一時的なパフォーマンスの見世物」ではなく、投打それぞれで通用する実績を積み重ねながら継続できる育成方針であることを、成績という形で示した期間だったと言える。栗山監督が入団会見で見せた「全然喜べない」という重圧の言葉から始まり、球界の懐疑論を受けながらも、球団と選手が二人三脚で前例のない道を歩んだ結果が、2016年のパ・リーグMVPというひとつの到達点に結びついた。この経験がのちのメジャーリーグでの二刀流継続にどうつながったかについては、日本ハム在籍時とは別の文脈になるため、稿を改めて扱いたい。

この記事についてのお断り

本記事は、プロ野球LABが通常提供しているNPBの現行シーズンデータ分析(当サイト独自のピタゴラス勝率・LABバリュー・優勝確率やタイトル獲得確率のシミュレーションなど)とは独立した、歴史的な選手フィーチャー記事である。本記事内で用いた選手成績はすべてNPB公式サイト(npb.jp)に基づくものであり、当サイトが保有するデータベース(2025年シーズン以降を対象)による独自集計ではない。当サイトのデータベースには2013年〜2017年のデータを保持していないため、この期間の成績・記録に関する記述は、npb.jp、球団公式サイト、および本文中に明記した報道各社の記事を出典としている。交渉の経緯や説得資料の詳細、関係者の発言については、複数の報道をもとに趣旨を要約したものであり、発言の一言一句を再現したものではない点もあわせてお断りしておく。