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「筋トレで体が硬くなる」は本当か ― ウェイトトレーニングと球速・打球速度の科学的知見
2026年7月24日
「筋肉をつけると体が硬くなり、野球の動きには向かない」――かつて日本の野球界で根強く語られてきた考え方だ。柔道家やボディビルダーのような分厚い筋肉と、しなやかに投げ・打つ野球選手の動きは相容れない、というイメージが背景にあったのだろう。しかし近年、アメリカを中心としたスポーツ科学の研究では、下半身・体幹の筋力と球速・打球速度(打球初速)の間に関連を示す報告が積み重なってきている。一方で「筋肉量さえ増やせばいい」という単純な話でもなく、その力をどう地面反力や回旋動作に変換するかという「使い方」の議論も並行して進んでいる。今回は、この両面を公開されている研究知見に基づいて整理する。
まず前提:この記事は当サイト独自のNPBデータ分析ではない
プロ野球LABはピタゴラス勝率やElo、LABバリュー、2軍→1軍換算値といった当サイト独自の試算指標をNPBの公開成績から算出しているが、これらは選手個人の回転数・打球速度・筋力データといった実測のトラッキングデータではない。本記事で扱うウェイトトレーニングと球速・打球速度の関係は、あくまで海外の学術研究や専門家の見解を紹介する一般解説であり、NPB選手個別の測定データに基づく当サイト独自の分析ではないことを、まず明記しておきたい。
「筋トレ=体が硬くなる」という考え方の検証
「筋肉をつけると柔軟性が落ちる」という懸念は、ウェイトトレーニングを敬遠する理由としてよく語られてきた。しかし近年のスポーツ科学の知見では、正しいフォーム・適切な可動域でウェイトトレーニングを行った場合、柔軟性が明確に低下するという根拠は乏しいとする見解が増えている。5週間のウェイトトレーニングとストレッチのそれぞれを行ったグループを比較したMorton氏らの研究では、柔軟性の向上幅は同等か、ウェイトトレーニング側がやや上回ったという報告もある(出典:理学療法士による筋トレと柔軟性の誤解に関する解説で紹介されているMorton (2011) の研究)。体操競技のトップ選手が高い筋量と高い柔軟性を両立させていることも、しばしば例として挙げられる。
ただし、これは「筋トレをすれば自動的に柔軟性が保たれる」という意味ではない。可動域を意識せず、狭い範囲でしか動かさないトレーニングを続ければ、その動きの範囲でしか筋肉が使われず、結果的に動きの硬さにつながる可能性はあるという指摘もある。つまり問題は「筋肉をつけること」自体ではなく、「どういうトレーニングをするか」という質の部分にあると考えるのが、現時点でのバランスの取れた整理と言えるだろう。
打撃:筋力・除脂肪体重とバットスピードの関連
打撃面では、2023年に発表された、大学野球選手78人を対象にした研究(出典:Sports誌(MDPI)掲載、PMC10610610)が参考になる。この研究では、身長・体重・除脂肪体重(脂肪を除いた筋肉や骨などの重さ)・握力・背筋力・30メートル走・立ち幅跳び・後方メディシンボール投げといった複数の項目とバットスピードの関係が調べられた。その結果、握力・背筋力・後方メディシンボール投げ(下半身と体幹を使って後方にボールを投げる、全身の爆発的な力を測る種目)はバットスピードと関連が見られた一方、立ち幅跳びや30メートル走との関連ははっきり確認されなかったという。研究者らは、除脂肪体重が大きく、筋力・全身の瞬発力に優れる選手ほどバットスピードが速い傾向があると結論づけている。
ここで注意したいのは、この関連の強さだ。この研究で報告された相関係数の中で最大のものでも0.594程度であり、これは統計的に「関連はあるが、バットスピードの違いの3〜4割程度しか説明できない」水準にとどまる。つまり除脂肪体重や筋力は打撃パワーを左右する要因の一つではあるが、それだけでバットスピードのすべてが決まるわけではない、ということも同時に示されている。
投球:ウェイトトレーニングと球速の関連
投球面でも、一定の関連を示す研究が積み重なっている。1994年に発表された研究(出典:Journal of Strength & Conditioning Research, 1994)では、育成年代の野球選手をメディシンボールトレーニング群・通常のウェイトトレーニング群・トレーニングなしの対照群に分けて8週間のプログラムを実施したところ、ウェイトトレーニング群が投球速度と筋力(6RM、6回だけ挙げられる重量)の両方で最も大きな向上を示したと報告されている。
より新しいところでは、2024年に発表された系統的レビュー(複数の研究を横断的にまとめた論文、出典:Sports Medicine - Open, 2024)が、加重球・軽量球、前腕への負荷、プーリー器具、レジスタンスバンドといった複数の「特異的な筋力トレーニング」の効果をまとめている。この中で、レジスタンスバンドを使った筋力トレーニングを行った研究はすべて投球速度の向上を報告しており、その向上幅は3.7%〜26%と報告されている(ただし、対照群と比べて統計的に明確な差が出たのはそのうち半数程度で、トレーニング期間は6週間以上が望ましいとされている)。なお、股関節まわりの筋力と球速の関連については、当サイトが以前公開した球速トレーニングの記事で紹介した909人の投手を対象にした系統的レビューでも「比較的よく確立されている(well-established)」と評価されている点も付け加えておきたい。
「筋肉量を増やすだけ」では不十分という論点
ここまで紹介した研究を並べると、「筋力・除脂肪体重が多いほど、球速・打球速度に有利な傾向がある」という大枠の関連は、複数の研究で支持されていると言えそうだ。ただし専門家の間では、単純に体重や筋肉量を増やすだけでは不十分で、その力を投球・打撃という動作の中で発揮できる形に変換する「転移(トランスファー)」が重要だという論点も、繰り返し指摘されている。
先述のMDPI研究で、立ち幅跳びや30メートル走といった「一般的な運動能力」を測る項目がバットスピードとはっきり関連しなかった一方、後方メディシンボール投げのような「下半身・体幹を使った全身の爆発的な動き」がバットスピードと関連していた点は示唆的だ。これは、単に「速く走れる」「遠くまで跳べる」という総合的な運動能力よりも、投球・打撃の動作に近い形で力を発揮する能力の方が、実際のパフォーマンスに結びつきやすい可能性を示している。当サイトが以前公開した記事(運動連鎖に関する記事)で扱った通り、打撃・投球のパワーは地面反力を起点に、下半身→骨盤→体幹→肩→腕という順序で力が伝わっていく「運動連鎖」の仕組みで生み出されると考えられている。ウェイトトレーニングで生み出した筋力・パワーも、この連鎖の中で無駄なく伝達されて初めて、球速や打球速度の向上につながる可能性がある、というのが多くの専門家の立場だ。
逆に言えば、スクワットやデッドリフトの挙上重量だけをひたすら追い求めても、その力を地面反力や回旋動作にうまく変換できなければ、期待したほど球速・打球速度には結びつかない可能性がある。実際、指導現場からは「数値だけを追い求めるあまり、かえって動きが鈍くなった選手もいる」という声も一部で報告されている(出典:ファーストピッチ「技術の成長を止める間違った“筋トレ”」)。これは査読論文ではなく指導者の見解記事であることは明記しておくが、「筋力トレーニングそのものが目的化してしまう」ことへの懸念は、複数の専門家に共通する視点と言える。
科学的に見た、現時点でのバランスの取れた整理
以上を踏まえると、「筋トレは球速・打球速度の向上に効くのか」という問いに対する、現時点での科学的に妥当な答えは、次のように整理できる。
・下半身・体幹の筋力や除脂肪体重と、球速・バットスピードとの間には、複数の研究で一定の関連が確認されている。
・ただし、その関連の強さは「決め手」と呼べるほど強いものではなく、球速・打球速度の違いを説明する一つの要因にとどまる。
・単純な最大筋力や一般的な運動能力(走力・跳躍力)よりも、投球・打撃動作に近い方向・タイミングで力を発揮する「回旋を伴う爆発的な力」の方が、パフォーマンスとの関連が強く出る傾向がある。
・「筋トレで体が硬くなる」という懸念は、正しい可動域・フォームで行う限り、根拠が乏しいとする見解が増えている。ただし可動域を無視したトレーニングの質の問題は別途注意が必要とされている。
つまり、「筋トレをすれば誰でも球速・打球速度が伸びる」という単純な話でもなければ、「筋トレは野球に悪影響」という懐疑論も、現在の研究の到達点とは合わない。筋力トレーニングは球速・打球速度に関わる複数の要素のうちの重要な一つであり、その効果を最大化するには、地面反力の発揮や運動連鎖への転移を意識したトレーニング設計が求められる、というのが科学的に妥当な立場だろう。
この記事についてのお断り
本記事は、ASMIやDriveline Baseballの分析、査読学術誌(Sports誌、Sports Medicine - Open誌、Journal of Strength & Conditioning Research誌など)、および専門家の解説記事で公開されている研究・見解を紹介する一般的なトレーニング科学の解説であり、プロ野球LABが保有するNPB選手のトラッキングデータ(実際の筋力測定値・打球速度の実測値など)に基づく分析ではない。当サイトが公開しているピタゴラス勝率・Elo・LABバリュー・2軍換算値などの独自試算指標とも独立した内容である点をご了承いただきたい。また、本記事はトレーニング効果に関する一般的な研究知見の紹介であり、特定の選手・チームのトレーニング方法を評価・批判する意図はなく、怪我のリスクや医学的な予測・診断を行うものでもない。トレーニングの実施にあたっては、専門知識を持つ指導者や医療従事者に相談することを推奨する。